本の感想集積所

思い上がった読者が読み終わった後の興奮をぶつける場。※読んで半年ほど咀嚼してから書いています。書くために読み返すことはしていません。※基本的にネタバレへの配慮はしないのでご注意ください。

青崎有吾が好きだという話

ミステリ小説のジャンルの一画に青崎有吾作品がある。
現代を軸にした全体的に軽い口あたりの軽妙なミステリで、「失礼ながらお嬢様の目は節穴ですか」が殺し文句の謎解きはディナーの後でと同ジャンルという印象を持っている。
ちなみに私の目も節穴なのでミステリの巧拙はまるで分からぬままにアガサクリスティ→ルパン→怪人二十面相星新一西尾維新森博嗣と変遷して色々好きなのだが、各方面への無礼を承知で述べると、質としても謎解きはディナーの後でに勝るとも劣らないのでは?と思っている。ちなみにvs東川篤哉先生の作品だと、個人的な好きが加算されて青崎有吾作品群に軍配が挙がっちゃうぐらい好きだ。

この個人的に好きな感情の源泉は世代観にある。
スナック感覚で読める口あたりに加えて、一番特徴的だと感じているのは世代を反映しているところだ。
脱線するが、青崎有吾と同い年の作家に阿部智里が居るのだが、彼女は基本的に純和風ファンタジーを描いていてそちらはそちらで面白いが、現代の息吹ようなものは感じられない(代わりに日本史は疎いが室町時代みを感じられる)。
また、推し、燃ゆも世代の特徴を切り取って描いていて、あちらは重い印象。世代の特徴自体が主題なのに対し、青崎有吾作品は登場するキャラクターの背景とか小道具にジェネレーションが効いてるのがじわじわくるというか、ひとつひとつツボにハマる感じがしてとても良い。またそれにより登場人物に奥行きが出ているように思う。
例えば主人公の視点では探偵役と比較して優秀に見える妹が、実は大手動画サイトに中二病な歌詞の楽曲を自作してアップしてるとか。意外性が親しみを連れてくるところがとても好きだ。完璧な人なんていないんだよってメッセージを勝手に深読みできてしまうあたり、読み手に対する優しさがある気がする。

ここまでは○○の殺人(風ヶ丘シリーズ)の数冊を読んで感じた印象。

※○○の殺人の○○には館が付く場所が入る。図書館とか体育館とか水族館とか。あえて風ヶ丘シリーズと併記したのは、殺人じゃないタイトルの番外編も出ているため。

そこへきて、早朝始発の殺風景を読んでまた少し印象が変わった。
ただ面白かったところに、ほんのりした寂寥感のようなものが混ざった感じ。
早朝始発の殺風景自体は短編集なので、どの話がそうした印象を連れてきたのか具体的ではないが(むしろ全部?)、
※ここからはネタバレに抵触するのでご注意ください。









法で裁けない事件の被害とか重たいものが背景にあって、そこに対する復讐の内容に妥当性(法に照らすとそんなものは無いのだが)や納得感のようなものを私は見た。
その上で達成感などもあって、やはり読後感は爽やかなのだが、心に青いフィルターが一枚かかるような良い意味での淋しさもまた残った。

総じて青崎有吾作品には安心して読める安定感があると思う。是非また読みたい。

▼青崎有吾作品リスト
体育館の殺人
水族館の殺人
図書館の殺人
風ヶ丘五十円玉祭りの謎

早朝始発の殺風景

その他未読多数。



青崎有吾在籍中に明治大ミステリ研究会に所属してた奴まじ羨ましいぜ!

空中の城からハウルの動く城へのサブタイ変更について

敬愛するダイアナウィンジョーンズの代表作のひとつがハウルの動く城シリーズ。(個人的には大魔法使いクレストマンシーシリーズも引けを取らないと思っていてもっと脚光を浴びてほしいのだけれども!)

中でも宮崎駿監督がジブリでアニメ化したことで知る人が一般的だろう1作目、「ハウルの動く城1 魔法使いハウルと火の悪魔」は定期的に読みたくなる愛読書の1つなのだが、実はアニメ化される前までは「空中の城」がサブタイだった。

それがどうした?と思うだろうが、実は本作、大枠が「魔法が出てくる恋愛小説」なのだ。ゴリゴリの乙女の夢の塊だ。

そして乙女は空中に浮かぶ城が大好物だ(異論は認める)。

それが「ハウルの動く城」となってみろ。イメージするのはガンダムとかエヴァとか変形する乗り物系に変わるだろう。タイトルを見て湧き上がるドキドキの種類が変わってしまうのだ。

いやいや、本作は少年にも少女にも等しく読んで欲しいとは思う…だがしかしこのターゲット層を変更したかのようなサブタイ変えは…

だって冒険心溢れる少年魂を追求するならクリストファー魔法の旅(前述の、大魔法使いクレストマンシーシリーズの根幹となる1作というか名作!)でよくないか?

 

マーケティングの目線では当然のサブタイ変更だったのだろうが、当時ダイアナウィンジョーンズを愛読していた少女は失望した。それはもう失望した。

 

そしてハウルアニメ化からだいぶ時が流れた今になって何が言いたいかというと…

サブタイが「空中の城」になっているハウルのシリーズが喉から手が出るほど欲しい。

1作目はブックオフで探し続ければ手に入るが、2作目はレアだろう。3作目に至っては無理だ。

出版してくれないかな…特装版とかどうかな…

 

ハウルの動く城の原作「魔法使いハウルと火の悪魔」のススメ

そして、世間の方々には改めて原作を強くオススメする。魔法の出てくる恋愛小説最高。とはいえ本作の大部分は主人公が "棺桶に片足をつっこんだ" 老婆なのだが(そこもまたいい)。元気な婆ちゃん最高。

「歳を取ると言いたいこと何でも言えるようになるのね」なんてソフィーさんは言いますが、これ、うちの祖母も晩年言っていた。それまでさまざまなしがらみに縛られて抑圧されていたソフィー。死にかけの老婆になることで解放されたBBAソフィーの小気味よさに胸がスッとします。イチオシ。

 

ダイアナウィンジョーンズの作品群は概ね、鬱屈とした日常の歯車が狂いはじめ、持ち上がった大問題を乗り越える過程でこれまで気付かなかった自らの長所を見い出し主人公が成長する…という普遍的な流れを辿るが、特にダイアナウィンジョーンズの素晴らしい点は、結末に至る過程が常識という垣根をぶっ壊す奇天烈さに満ちているところ。

本作も例に漏れず、4つの色を合わせることで別の国に出る扉や、7フィート靴を履いて流れ星を捕まえたり、魔法使いの弟子の課題が詩の形式でできた謎掛けになっていたり、ソフィーの目から見たハウルの浴室のおどろおどろしさ(これは一般的な現実世界で見かける洗顔フォームとか化粧水とかが色々置いてあるんだと思う)とか、独創的な遊び心に満ちた小道具が活きている。

 

もうひとつ、ダイアナウィンジョーンズには最大の特徴がある。それは子どもの夢を絶対に壊さないところだ。

彼女の後書きは常に、彼女の現実と空想の世界が混じり合って出来ている。作家が物語を書くと、書いた内容の一部が現実世界でも起こるというのは彼女に限った話ではないかもしれないが、彼女の身の周りでは実に頻繁に起きている。

読者は面白ければ後書きまで丁寧に読む。そして現実に回帰するのだが、彼女の作品は後書きまで不思議に満ちている。後書きというものは物語が生まれた背景から始まることが多いが、彼女は典型的なひらめき型、それも絵が浮かぶタイプ。それを彼女はこう表現する。「見えた」「言われた」と。消して「ひらめいた」とか「浮かんだ」とかではない。まるで彼女の頭の中にだけ存在するのではないですよ、と言わんばかりに。彼女の後書きにおいて、物語は決して虚構のものではない。空想と現実は地続きで、主人公たちに会いに行くことすらできるのだ。

 

また本作にはイギリスらしさもたっぷり含まれているのだが、紹介ついでに魔法使いハウルと火の悪魔の疑問点をいくつか解消したい。

 

1. 長女は魔法が使えない?

 

本作の主人公、ソフィーは3姉妹の長女。亡き母に変わって妹たちを愛し家を支えている。自分の身を犠牲にしがちなところが読者も周りもちょっと心配になる。少し思い込みの激しいというか、迷信を信じている節がある。そこがまた可愛い…のかな?

で、本作の軸のひとつがこの思い込み。

長女は出世できない(なにをやってもうまくいかない)。末っ子には魔法の才能がありがち。といった迷信の様子。

これは長靴を履いた猫に代表される、3兄弟の王道ストーリーでありがちなパターンによってソフィーの思考回路が誘導されているそうな。そういえば3匹の子ぶたでも成功するのは3番目だね。

 

2. ハウルって何?

 

ウェールズ出身。なんとつまり元々は私たちの住むこの世界の出身!本名はハウエル(実姉が呼んでいる)。ソフィーのいる世界では(悪)名の通った大魔法使いとして知られているのだが、現実世界に生きる姉からしてみれば、定職に就かない社会不適合者で、ペンドラゴンを名乗っているあたり現代日本にいるなら厨二病を患っているといえそう…。どうだろう、ここまでのプロフィールでちょっと親近感湧いたのでは?

金髪は染めてて、本当は黒髪碧眼(ここ大事。乙女的な意味で)。

主人公が本来の年齢でなく大半BBAなせいもあるだろうが、読んでいるとかっこよくてキュンキュンする…なんて場面はほとんどなくどちらかというとダメな部分に母性本能がかき立てられる。そんなヒーロー。かっこいいのは初登場と土壇場だけなんじゃない?あっ、そういえば途中で愛弟子をかっこよく助ける、そんなシーンもありましたね…

基本的にメンタル弱い(そこがまたいい)。癇癪持ちの構ってちゃんなところも、ハウルと性格似てる妹の面倒みるのに慣れてる主人公と相性抜群。まさに凸凹コンビ。需要と供給がピッタリ合ってる。ナイス夫婦。

 

3. 続編はあるの?

 

あるある!あるあるある!

しかし2作目も3作目も、主人公・文化からぜんぶ違う。ソフィーとハウルはお助けマン的な立ち位置で出てくるよ。

それでは紹介しましょうー!

 

空中の城2 …またはハウルの動く城2 アブダラと空飛ぶ絨毯

これも良い!アラジンの空気感が最高。しかしよく考えるとアブダラは怠惰に過ごしてるだけなのに、超美人のお姫様《夜咲花》と素敵な仲になれるなんて幸運が過ぎるんじゃない?と思っていたが…、大人になるとこう思う。アブダラの《夜咲花》の扱い紳士的すぎじゃない?乙女の理想かよ。

そしてこの作品ではモノホンの空中の城(!)が出てくる!佐竹美保先生の描くお城の絵が最高に合ってる。合ってるのはこれだけじゃなくて3作品全部なんだけどね…!

魔法使いハウルもそうだけど、本作でも女性の持つ強さのようなものが明確に出てくる。夜咲花のように芯の強い女性になりたいと今も思ってる。

 

ハウルの動く城3 チャーメインと魔法の家

今度は打って変わってクソ小生意気な反抗期の少女が主人公。いつでも本に鼻先突っ込んでる本の虫(親近感)。

長期休暇中、実家で本の世界に引き籠ろうという時、諸事情あってひとり遠縁の家に預けられることに。この時点で彼女の不機嫌MAX。

しかし着いてみると気のいいオッサン(魔法使い)はどこにもおらず、人っ子1人いない(犬やら小人やら少年やら蜘蛛やらドラゴンやらは出てくるが)魔法のお家(わくわくしかない!)でひとり(途中から2人と1匹)でお留守番することに。最初は最悪!だったのに、気付けば今日はこれやる!の自立感にすり替わっていくのが最高。自分の面倒を自分で見られることへの自信や達成感がチャーメインの成長に繋がってる。今日の予定を希望を持って自分で定められる幸せってあるよね!

この魔法の家が空間めちゃめちゃ、しかし法則はある!で本当に素敵。夢の塊。最高です。

しかしその舞台裏を支えている小人たちとの取り引きを知り、ひいては国を揺るがす大問題に直面して…。

ここで出てくるんですよ。キラキラ。モーガン。そこで最後に…

 

4. ソフィーとハウルのその後って?

 

2作目と3作目から透けて見えるハウル家のご家庭事情。破天荒な両親に生まれる前から振り回される息子モーガンがとにかく可哀想の一言。

でもあの2人の息子だもの、きっとただ可哀想なだけじゃない。

ダイアナ氏がもしもまだ生きていらしたら…そのうちモーガンが主人公の4作目、あったかも。辛い。この場を借りて心からのお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。

 

ここからネタバレ。2作目と3作目の根幹に関わるネタバレなので、読みたい人はブラウザを閉じようね…

 

 

 

 

 

1作目の後、無事にソフィーのお腹にハウルの子が宿った後。ハウル邸が襲撃され、出産間近のソフィーを安全に逃したいハウルは問答無用でソフィーを黒猫に変えてしまう(んなアホな)!

逃がされたソフィーは慣れぬ猫の身で無事出産。もう一度言おう、猫の身で。

つまるところ、2人の息子モーガンは仔猫としてこの世に生を受ける。

ソフィーは慣れぬ猫の身に四苦八苦しながら仔猫を育て(流石に書かれてないけれども!猫って排泄を助けるために仔猫のお尻舐めるんだぞ…?出した後も舐めて綺麗にしてあげるんだぞ…?人間のハート残ってたらハードル高すぎだよぉ!)、モーガンは無事にスクスク育ち、遺憾なく発揮する可愛さで万難を排しながら好奇心旺盛に世界をよちよち駆け回る。

2人はアブダラと兵士(とついでに魔法の絨毯と瓶の中のジン)に出会い助けを得て、次女レティーのもとへ辿り着き、魔女としても優秀なレティーに一撃で「姉さん…!まぁなんてこと!」と気付いてもらえ、めでたく人の姿に戻ることができた…と思いきや!

可哀想なモーガンは生後1ヶ月の赤ちゃんに。

ここがダイアナ氏のセンスが光り輝いてるところなんだが、仔猫の生後1ヶ月と人の子の生後1ヶ月って、出来ることが雲泥の差。

つまりモーガンは溢れんばかりの好奇心のままに自由に世界を闊歩する仔猫としての権利を喪失し、寝たきりの赤ん坊になってしまった。

当然の摂理で強く不快を示し続けることになる…。

 

モーガンの受難はそれに留まらない。

3作目、パパ(ハウル)がしばらく姿を消した。当然寂しいモーガン幼児を慰めるのが、新しいともだちの「キラキラ」。実はこれ、自意識過剰なハウル氏が、息子を参考に輝く金髪のあざとい笑顔の幼児に変身した姿。

しかし目的を無事達成した後、キラキラは姿を消し、ハウルの姿に戻る。

当然の摂理としてモーガンは「え…?チラチラは?」となる。(キラキラをチラチラって呼んでるんだよ!舌っ足らずな幼児可愛くない?)

もしかして…二度とキラキラに会えないの?あんなに毎日一緒に居たのに?ガーン

ソフィー「だからやめてって言ったのに…」

 

ハウルさん。他でもない息子のため、たまにキラキラになってあげてね?

 

凪良ゆう作品群を本当におすすめしたい話

2020年、流浪の月で本屋大賞を獲ったついでに業界で話題をかっさらった(であろう)凪良ゆう先生。

彼女の作品群の何が凄いって、人物描写の深さときたらえげつないほど素晴らしい。

 

凡人はやれキャラだのペルソナだのと浅はかに人物設定しがちだが、彼女の描く人物像の凄さは現実にそういう人がいたら、こういう場面でこんな反応(感情/態度)を取るんだ、ということが読んで納得の領域を遥かに超えて目から鱗と言えば伝わるだろうか?

 

凪良ゆう作品群を分析してみると、以下の3つの点を踏まえて人物像を形成されている。

 

1. 元来の性格

2. 生い立ち

3. 持病/コンプレックス(程度の差こそあれ、本人が気に病んでいる人とは違う点)が与える影響

 

特にこの3つ目のポイントがミソだ。

しかも凪良ゆう先生の本当に凄い所は、この3つの要素が独立して存在しているわけではなく、互いに影響を与え合って人物像を構成している点にある。

 

例えば、美しい彼の主人公の場合。

・暗いキモい 独りよがり 芸術家肌 個性強いついでに我も強い マイペース

・比較的裕福な家庭、優しく理解のある両親

・緊張したり焦ったりしているときに喋ると吃音が出てしまうのが災いし、小中高とデビューに見事失敗、でもプライドは決して低くない故に他者から憐憫の目で見られるのが痛いから他人と話すのが嫌で、1人の殻に篭っているのが1番楽で安心できる。ただ友達がいないのを両親が心配しているのが心の負担

 

…凪良ゆう作品群の凄さの一端をお分かり頂けただろうか?

しかもこれ、別に主人公だから特に念入りに練られてるとかじゃない。

例えば流浪の月では、脇役のDV男にも彼自身の悩みや不安が行動にきちんと反映されている。あんなDV役は普通の書籍ならほれ悪の権化でござい、憎め恨めといったバイキンマン的な扱いで十分だと思われていよう。しかし彼女の作品ではそうではないのだ。

 

流浪の月は彼女の良さが遺憾なく発揮されていると思う。

と書いたが、実は全作品そうなのだ!!!

全く凄いことにとにかくどれもクオリティが高いのである。

 

おすすめしたい理由はなにも人物描写の巧みさだけじゃない。空気感もとても良い。

文章は怖いもので、本人の性格がよく出ると思う。凪良ゆう作品群はそこが心地よいのだ。

その秘密はやはり、マイノリティの肯定にあると思う。

社会的弱者、疎外感を感じながら生きる人々を包み込むような優しさが常に存在する。

1人でうずくまって泣いている時、隣に来てしゃがんで黙って背中をさすってくれるような優しさがあるのだ。

しかもただ優しいだけの傷の舐め合いとは違う。毅然と前を向いて歩けるような力強い希望が読後に必ずある。

 

 

話は戻るが、冒頭で話題騒然と述べたのには理由がある。

凪良ゆう先生は元々BL畑の作家さんだったのだ。10年名作を世に出していたものの、BLはノーチェックだったという人が文芸界には多いだろう。だからこんな凄い人が居たの!?と激震が走ったというわけです。

 

流浪の月は文芸のジャンルで、確か3冊目だったか?

1冊目は神様のビオトープ、2冊目はすみれ荘ファミリアだと思う。

(違ったら申し訳ない)

 

流浪の月でどハマりした私が、2〜3冊で満足できるわけがない。

BLには手を出したことがなかったが、とりあえずシリーズ化されている3作品の中から唯一3冊出ている美しい彼を読んだ。

そして気付いた。

BLというジャンルに対して偏見を持っていたことに。

いわゆる官能小説の派生だろ?と思っていた。

違った。文学だった。

 

ひどい偏見だったと思う。深く謝罪する。そして述べよう、食わず嫌いは良くないと。

 

凪良ゆう作品:ジャンルBLに共通するひとつの美点がある。

濡れ場のシーンがあってもなくてもいいものじゃない点だ。

何言ってるんだ?と思われるだろうか…だがしかしよくある。18禁シーンは取り外しても成立するような恋愛小説は。

凪良ゆう作品:ジャンルBLはそうじゃない。

ちゃんと心の動き、状況の変化を説明するのに濡れ場がなくてはならない場面になっている。

しかも、それが常に関係を前進させるものとは限らない。そこがとてもリアルだ。

 

ちなみに凪良ゆう作品すべて読めているわけではないが、どれも一度読むといずれまた読みたくなる魅力を持っている。

結構読んだつもりだが、どの作品も2〜3回目を通した。

 

そういうわけで、愛が深すぎて前置きが長くなってしまったが、ここでは凪良ゆう作品群をおおまかに全部紹介しておすすめしたいと思う。

 

なぜ全部紹介するのかというと、作品によって振れ幅が凄まじいからだ。

つまり、その時々の気分に応じて選べる。

本の虫にとって魅力的なラインナップなのだ。

 

 

▼凪良ゆう作品一覧

 

● 流浪の月…シリアス。重たい。誤認逮捕とか、被害者・加害者を執拗に公開するネットの悪意とか、DVとか、児童虐待とか、人の心の歪みが生む社会問題も多数扱う。衝撃と理不尽と。辛い世の中でお互い支え合う小さなオアシス。

 

● 神様のビオトープ…主人公と幽霊を取り巻く人々の短編集。どろっとしたものから、小粒の宝石みたいな青春の煌めきまで。主人公と幽霊の世界は不安定で優しい。ちなみにこれ、1番裏表紙のあらすじが意味不明だった。あらすじ読んでから読むのが我流なんだが、全然思ってた内容と違った…

 

● 私の美しい庭…マンション屋上の神社の神主さん一家を取り巻く人々のお悩み短編集。あるある!と言ってしまいたくなる女性特有の生きづらさ。幸せな女の子の、複雑な家庭環境に対する外野の視線へのもやもや。男同士の別れ(これはおやすみなさい、また明日の一要素が下地になってる)。個人的には1番手桃子さんが1番印象に残った…私には真似できない強さがある。

 

● すみれ荘ファミリア…下宿を営む大家さんと下宿する人たちの話。やりきれない!(主人公が優しすぎて…)ドロドロ!でも明るい!みんな個性強い!個人的に印象に残ったのは、親だってきょうだいを平等に愛せない。という点。

 

● 滅びの前のシャングリラ…家族の愛のはなし。こうだったらいいのにな、を全部実現したら幸せになれたけど、この幸せは後少しの命を前提として初めて成り立っているんだというのが全容。隕石が地球に墜落し、恐竜滅亡以上の被害が生じるまで、残り1ヶ月。乗せられたレールの上、自分を捕らえる社会の枠組みをぶっ壊したい。鬱屈した日常に誰しもそう感じたことはあるまいか。それが突然、全人類残り1ヶ月の余命宣告で実現する。死にたいと思っていたのに、外的要因で社会の枠組みが壊された今、生きたいと思うようになる。最後まで力強く生を謳歌する姿に勇気づけられる。

 

以下BL

 

● 美しい彼/憎らしい彼/悩ましい彼…面白い。所々ヘヴィー。特に最初の、パシられてた主人公が高嶺の花(?)を崇拝するようになる心の過程が凄い。コメディぽいシーンでは笑っちゃうのにやっぱり泣ける、軽重のバランスが巧みな作品。シチュがシュールで爆笑しちゃうけどみんな真面目に全力で夢追いかけてるから!目まぐるしい状況の変化に主人公が七転八倒しながら少しずつ前に進む様子とか見どころたくさん。読んだ後、仕事頑張ろうと思える。続きが出るのが楽しみ。

 

● 恋愛前夜…美しい作品だと思う。かっこいい&かわいい。小説なのに現実がぬるくない、手厳しい。ヤコ先生がギャグ担当ぽいけど、全体的にほろ苦さが甘さを引き立てる。ビターチョコって美味しいよね…そんな作品。攻めが芸術家肌なところ、こちらが美しい彼の下地になっているのでは。後日談にマンガのfool for youがある。

 

● 求愛前夜…恋愛前夜のヤコ先生のその後。コメディ強め。おやすみなさい、また明日の舞台と登場人物が出てくる。

 

● おやすみなさい、また明日…静か。しんみり。少し切ない。しんしんと降る雪景色とか、夕暮れの侘しさが似合う作品。しかししっかりと印象に残る。…いや、幸せな話なんだけれどね?最後のシーンはないとだめ。あそこでめちゃくちゃ泣いた。海外ミステリ文学だが、忘却の声という作品を私は思い出した。あれは強烈だった…

 

● 全ての恋は病から…単純に爆笑できるコメディ。からっと明るくて面白い。元気出したい時読み返すような作品。キャラ濃ゆい!

 

● 花嫁はマリッジブルー/花嫁は今日もブルー…コメディ強め。でも泣けるところもちょっとある。ハイスペックポンコツロボ×かわいい。恋に浮かれた頭じゃなく、冷静に考えると立場きついんだが、そこはコメディだから。続き出ないかな…

 

● 累る…強烈。ホラーグロ。なのに読み返してしまう…純愛に泣ける。そして怖い。けどかっこいい。やっぱりこういうことって現実にあったのかな…と考えると恐ろしい。まとまらないが、恐怖が純愛の美しさを引き立てている作品。

 

 

今読んでいるのはここまで!

ジャンル:BLは紹介した倍以上ある。

まだまだ読める幸せ…

凪良先生ありがたや。

 

 

風の谷のナウシカのテーマは反戦か環境破壊への警鐘か

風の谷のナウシカ宮崎駿監督が1番に訴えたのは非核だ」

と言った人がいた。

ちょっと…いやかなり暴論だと思ったが、反論は

「テーマはそれだけじゃない」

に留めた。

 

それから約1年ほど、上記の発言に対する違和感が胸を占めた。

1番は非核ではないと思う。

では何なのか?

 

【前提】

風の谷のナウシカ(漫画版)は、アニメの3倍以上の内容量がある。

アニメ化されているのは全7巻ある漫画のうち、2巻の途中までだからだ。

この記事ではアニメ版だけでなく、漫画版についても語る。

往々にしてネタバレに抵触するので、嫌な方は読まないで欲しい。

 

【テーマの候補】

① 非核

反戦

③ 環境破壊への警鐘

④ 1つの民族による他民族の支配・抑圧に対する反対

 

順番に解説する。

 

 

① 非核

ナウシカ名物、巨神兵に託されたテーマ(と前述の方は宣った)。

巨神兵は、世界を破壊し尽くしたとされる「火の七日間」を齎した主武器。

アニメでも登場する巨神兵の口からビーム、それは現実世界に置き換えるといわば核兵器である…という説。

ぶっちゃけ核だろうがなんだろうが構いやしないが、過ぎた武器は身を滅ぼす、ということがナウシカで表現されているのは間違いない。

 

ちなみに漫画版では最後の方で、生き残っていた巨神兵が孵化し、ナウシカのことをママと慕う。ナウシカ巨神兵に名前を付け、無垢な存在に対し世界のために残酷な選択をしなければならないことを苦悩するのだが…

悪いのは武器ではない、使うのは人間だ。

ということだろうか。

(ちなみにナウシカ巨神兵を主に飛行機として使っている…メーヴェがあるじゃん!)

 

非核(過ぎた武器は持つな、という教訓)とは相反するようにも見えるが、上記も間違いなく宮崎駿監督のメッセージのひとつだと思う。

 

 

反戦

①の非核説より正直こちらの方がよほどそれらしいと思う。

風の谷のナウシカでは、クシャナの国を始めとしていくつもの国が醜い争いを繰り広げている。

アニメ版で重要なくせにどうしても存在感の薄い某青年の国、漫画版で半数を占める皇帝の国…

環境破壊が深刻な世界でも骨肉の争いだ。

 

ナウシカは現代風に言うと、個人の活動家として(風の谷のお姫様の設定はあまり、いやほとんど関係ない)、争いに倦み疲れる人々に手を差し伸べるため、独特の視点から繰り出される武力に頼らない手法で国家間の争いに単身(時には偶々出会った人と)介入していく。

 

かっこよくことを収めるのはアニメ版ならでは。

漫画版では、偶々出会った男の子が覚醒し(立場に目覚め)たり、クシャナが自分の向き合うべき家庭環境(王族の争い…これも醜い…)にきちんと対処したりしている。

 

全体を通して、国は争っている。

国の中でも権力を求めて人々が争っている。

そしてとても立派な理想を掲げ権力を得た人間が奈落に落ちていく悲しい様子も描かれている…

本当に世知辛い。

 

反戦の結論としては、クシャナの兄達の末路が示すものが1番ではないだろうか。

人間にとって必要不可欠な安寧は、権力から外れたところに存在しているのだと。

 

(反戦は少し難しいテーマでした…うまくまとまらない)

 

 

③ 環境破壊への警鐘

これは有名ですね。

強毒で知られる腐海の植物を、地下の研究室でひっそりと育てていたナウシカが述べた一言に集約される。

「きれいな水と土では、腐海の木々も毒を出さないとわかったの」

 

元々ナウシカの世界は、科学兵器を用いた戦争により破壊され尽くした後という設定。

アニメ版でも腐海の地下で目覚めたナウシカが、マスクが必要ない空間にいることに気付き驚くシーンがあるが、当初毒の塊、悪の存在と思われた腐海が、実は世界中に撒かれた毒を身を以て浄化していることが判明する。

 

腐海の神秘を守る森の人とか好きなんですが…、ナウシカの世界では人はひたすら毒を撒き散らすだけの存在、そして悠久の時を掛けて環境を癒すのは植物たちと相場が決まっている。

この構造は現実社会でも同じなのでは。

世界の工場たる中国で、コロナの影響で各工場が停まった結果、空気がきれいになったとか。

原子力事故により、放射線濃度が高いため立入禁止区域となった場所が野生の動植物の宝庫になっているとか。

そんな事例はゴロゴロしている。

 

そして決して忘れられないのが、そんな人類に宮崎駿監督が用意した痛烈な皮肉。

腐海の外であっても大気中に微毒が含まれる状態であり、そんな中で生活している人類は、アニメでナウシカが見た地下の更にその先、腐海の本当の奥深くでは…………ああ、これは本当に漫画版の衝撃のひとつだから読んで欲しい。本当に世界中の人に読んで欲しい。因果応報とは正にこのこと。環境を汚染する人類はいつか必ず報いを受ける。それは今代ではなく、子子孫孫のいずれかもしれない。でもむしろそうであってほしいと私は思う。なぜなら現実世界で人類の環境破壊の煽りを受けているのは、その他の動植物だから。環境に於いて人類はどこまでも加害者である。

 

持論は置いておいて、とにかく、ナウシカは世界観の下地に、環境問題への大きな警鐘を含んでいるわけだ。

 

宮崎駿監督の、ナウシカに登場する動植物への凝り方凄いですもん…当時としては絶対に他に類を見ない作り込みだと思う。

動植物愛がある!

そして環境破壊への大きな懸念がある!

 

 

④ 1つの民族による他民族の支配・抑圧に対する反対

このテーマはかなり繊細なので、表現が大変難しいデス。

折りしも米国でRACISMに対するデモ活動が盛んだし…

ナウシカの世界では有色人種差別とはまた違った感じで、どちらかというとユダヤ教選民思想の方が近い気がしますが…、どのみちすっごく繊細な話題ですね。。避けて通りたい…

 

ナウシカでは、土着の民族を抑圧で支配する上位階級が、被支配階級の一斉蜂起(別に示し合わせたわけではなく流れです)により駆逐される様子が描かれている。抑圧への人々の怒りにより国家が転覆します。理想に燃えた1人の男が挫折します。そして未来と希望に溢れた新皇帝が誕生します。虚無感と、そんな中に芽生える未来への希望を持てます。ナウシカ漫画版おすすめです。いいですよ〜。

 

社会の仕組みを作るのって大変。上手くいかないことの方が多いでしょう。

そんな時に、アドバイザーとして第三者の立ち位置で深い洞察力を持ったナウシカが側にいるときっと違う。

ナウシカの世界は、きっと良くなっていく。

現実の世界だって私たち次第。

 

 

【結論】

ここまで整理してみて、ナウシカを構成する重要な要素は、

反戦

そして

環境破壊への警鐘

だと感じた。

この2つは切り離せない。

ナウシカの世界では、環境破壊は戦争が齎している。密接につながっているのだ。

 

是非漫画版ナウシカを読んでみてください。

そしてあなた自身で宮崎駿監督のメッセージを読み解いてみてください。

この記事では拾い切れていないメッセージが、いくつも胸に迫るはずです。

住野よる また、同じ夢を見ていた

住野よるの作品は読みやすい。

ライトな語り口で気持ちの良い登場人物で、

そして感情を深く揺さぶる大切なテーマがいくつも盛り込まれている。

 


物語としての完成度の高さとは裏腹の読みやすさと、あとは君の膵臓の話題性から住野よるの読者は小説をあまり読まないライトなファン層が多いと思う。

 


おかげでちょっとした悲劇も起きるーーか・く・し・ご・とでは、"自分に向いた矢印は見えないことに、本人が気付いていない可能性がある" という作者の"隠し事"に思い至らない読者が、結局ヅカが好きなのはエルじゃないんだと気が遠くなるような勘違いをしてしまったりする…

 


今作、同じ夢を見ていたは住野よる作品の中で一番好きだ。なのでかくしごとのような悲劇を回避したく、以下にたっぷりネタバレ含んだ解説を展開する。

 

 

 

 


南さんとは

別の世界線における高校生(南高)の奈ノ花

 


小学生奈ノ花が制服の刺繍を見て南さんと勘違いしたが、制服の刺繍は高校の名前。

本人の名前は奈ノ花である。

名乗っていないのに奈ノ花を奈ノ花と認識したのは、授業参観の日に出張で両親が来れなくなり喧嘩したと聞いたところで、それが自分が小学校時代に経験したことだと気付いたから。

高校生奈ノ花の両親は授業参観に来ず、急な出張のため乗った飛行機が墜落し死亡。

小学生奈ノ花の世界線でも同じ飛行機墜落事故は起きているが、小学生奈ノ花の世界線(およびアバズレさんの世界線)では両親はどうにか都合を付けて授業参観に来たため生きている。

南高奈ノ花は家庭にも学校にも居場所が無く、1人の完結した世界を求めて廃屋で1日を過ごし、苛立ちを自分にぶつけることで解消する日々(リストカット)を繰り返していた。

そんな風に行き場を無くした人生の迷子の高校生奈ノ花だから、小学生奈ノ花と出会いが交差した。

 

 

 

アバズレさんとは

別の世界線における大人の女性奈ノ花

 


まず前提として、アバズレさんと南さんの世界線は違う。また小学生奈ノ花や、おばあちゃんの世界線とも違う。これは南さんにもいえることだが。

 


表札が本来ある位置に他者が書き殴ったアバズレという中傷(恐らく春を売るお仕事関係の揉め事の結果か)を見て、奈ノ花はアバズレさんという名前を名乗っているものと勘違いするが、本人の名前は小柳奈ノ花。

 


アバズレさんの人生の行き止まり地点は、恐らく小学生奈ノ花が体験した、荻原君に無視され、桐生君から大嫌いと言われた出来事が最初のきっかけになっているようなので、そこでちょうどいいと周囲との関わりを絶ってしまい、桐生君の味方をやめてしまった(仲直りしなかった)選択により分岐したのがアバズレさんの人生。

 


アバズレさんは本当の袋小路で行き詰まり自殺寸前だった、人生の迷子。

だから小学生奈ノ花に出会った。

アバズレさんは過去の自分とは気付かずに小学生奈ノ花と出会い、彼女を慈しんだ。

自分を肯定的に捉えられること、自分に価値を見出せたことが、アバズレさんの救いになった。

だから小学生奈ノ花が自分だと気付いた後、アバズレさんと奈ノ花は会えなくなる。

アバズレさんにとって、未来の自分かもしれないおばあちゃんが幸せだったというのは大きな希望。

そして小学生奈ノ花と出会って得たものは、人生をやり直すモチベーションであり、決意である。

 


尚、アバズレさんは世界線は違えど、小学生奈ノ花と出会えなかった場合の南さんの未来の姿でもある。

(本を書いていた時期もあったが、見せる相手がいなかったためやめてしまったのくだりより)

 

 

 

おばあちゃんとは

未来の奈ノ花

 


天命を全うするまでの狭間の時間に小学生奈ノ花と出会う。

ほかの奈ノ花が袋小路で人生の終着点に辿り着いていたのに比べ、おばあちゃんは普通の終着点でゴール間近。

特に悩みなど無く、ただただ小学生奈ノ花を慈しむ。

 


おばあちゃん奈ノ花は、今奈ノ花の未来の姿(同じ世界線)ではないかと思う。

根拠は桐生君の絵。

最後のシーンで今奈ノ花にあげている絵こそ、おばあちゃんの寝室に飾られていた絵と思われる。

桐生→きりゅう→kill you→live you、桐生君らしい思考回路であり、ネーミングセンスではないだろうか。

 

 

▼それぞれの時代の奈ノ花たち図解

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尻尾の短い彼女

別々の時代の終着点に立つ奈ノ花たちを、分岐点に立つ小学生奈ノ花に出会わせたのが尻尾の短い彼女。

 


本作の不思議を奈ノ花に提供する小さな魔法使いさんの正体は、どこかの時代で奈ノ花と同居する猫…恐らく今奈ノ花のオス猫(!)ではないだろうか。

いわゆる猫の恩返しというやつだ。

 

とはいえ、奈ノ花たちが出会えたのは彼女たちが同じ夢を見ていたからで、猫の力は背中をとんと押すくらいのささやかな影響力だろう。

 


小学生奈ノ花は彼女を悪女だと思っていたようだが、行動を見るにただのいい女。もといいい男である。

 

 

 

桐生君のお母さんが階段で隠れて泣いていた訳

奈ノ花の桐生君への発言の中でお母さんに刺さったのは、お父さんが泥棒でも、奈ノ花に優しく挨拶してくれたことは変わらない、ましてや桐生君のいいところとは何の関係もないといった部分。

お母さんも桐生君と同じで、お父さんの泥棒事件と恐らくリストラされていた件を知らなかったことで裏切られた悲しい気持ちが強くて、お父さんのいいところをいっぱい知っていることを忘れてしまっていた。それを奈ノ花の言葉で思い出して、悲しみを乗り越えるきっかけを得たのだと思う。

そして息子の良いところもお父さんの良いところも、自分がよく知っているからこそ、自分が息子に伝えるべきだと感じたのだと思う。

 

 

 

荻原君は何がしたかったのか

あくまで恋愛脳な見方になるが、荻原君は小柳さんを孤立させたかったわけではなく、奈ノ花の興味関心を独占したかったのではないかなと。

自分以外に奈ノ花がクラスで喋るのは桐生君だけ。

ライバルとして桐生君を蹴落とそうとしたのでは。

まさか奈ノ花が桐生君を庇うとは思わず、それにより奈ノ花のクラスでの立場が悪化しすぎて、自分まで奈ノ花を無視しなければならなくなるとは思ってもみなかったのでは。

もしそうだとしたら、自分が流した噂によりクラスから孤立したことで、逆に桐生君と奈ノ花がワンセットになってしまったことについて、荻原君の内心の絶望たるや如何に。

 

 

 

 


最後に

本作を貫く大きなテーマはふたつ。

 


幸せとは何か。
そして、人生とは何か。

 


どちらも考えて考えて考えて、今の自分にしか出せない答えを出し続ける。

自分自身に、胸を張って誇れるように。

 


住野よるらしく、小学生の主観でライトな読み心地なのに深淵なテーマに肉薄している。

読後にとても大切なことを得られた感覚がきちんと残る。

間違いなく良作である。

プフレとシャドウゲール考察 魔法少女育成計画より

プフレとシャドウゲールが好きだ。ほとんど2人の関係を愛していると言ってもいい。というかむしろ護を愛する庚江の気持ちに尋常でなく肩入れしている。平たくいえば護が好きだ。護を好きな庚江も好きだ。

今回はそんな2人の良さを垂れ流したい。

 

◆キャラクター紹介

まずは簡単にキャラクター紹介に挑戦してみる。

庚江と護は幼馴染であり、同じ高校に通う女子高生であり、2人の家はお嬢様とその使用人という関係だ。(尚、護の両親は庚江の誕生に合わせて庚江を守る存在として護を生んだという忠犬っぷり。)そしてプフレとシャドウゲールという魔法少女である。

プフレこと庚江(かのえ)…猛スピードで走る魔法の車椅子を操る魔法少女

シャドウゲールこと護(まもり)…(機械工作的にペンチを使って)何でも作れる魔法少女

2人とも戦闘特化型では全く無い。しかしプフレに限って言うならば、戦闘力は問題ではない。彼女の真の強みは頭脳だからだ。先見の明という言葉があるが、庚江にかかれば魔法とか抜きに素で正確な未来予知ができるんじゃないかレベルで頭が良い。ただ頭が良いだけではなく、目的のためには手段を選ばないキャラでもある。

そしてここが一番大事。護にはいい迷惑だが、庚江は護を非常に気に入っている。

 

◆2人の良さ

性質は狼(プフレ/庚江)と羊(シャドウゲール/護)なのに、プフレの方がシャドウゲールのことを100%純粋に愛している(愛情表現はともかくとして)のがいいし、シャドウゲールの方がプフレに対して愛憎悲喜交交、プフレ以外との関係性が希薄だから必然的にそもそも他人とプフレが比較の土台に乗らないところとかも大好きだ。尚シャドウゲールのぼっちさは半ば以上プフレがそう仕向けているところなんかも大変良い。常日頃庚江が護を守っているけれど、土壇場では必ず護が庚江を守るあたりもまた大変良く、結局のところ2人とも形は違えどお互いに共依存なのだ。

依存の形は様々だが、ここまでツボにハマる2人もなかなかいない。

 

さて、穏やかな話はここまで。以降はネタバレに触れるので注意されたし。

 

◆2人の最期

庚江が護を100%純粋に大好きで、一方護は庚江を愛してはいるもののそれだけではない複雑な、ほぼありとあらゆる感情の全部を庚江1人に対して抱いているあたりから、プフレが死ぬとしたらシャドウゲールに殺される以外の選択肢はないだろうなぁと早々に思っていた。なぜならプフレにとって、それが最も幸せであり、かつ最も不幸なことだからだ。

結局シャドウゲールにとって世界で一番大切な人が自分だったことを確かめる形で本人に殺されたプフレだが、そのような前提条件が無かったとしても、やはりプフレにとっての最高はシャドウゲールによる幕引きだ。加害者が他の誰であってもプフレには納得できないだろう。どのような感情の働きにしろ、シャドウゲールがもたらした殺意であればプフレにとっては喜びとなりうる。それだけの強い感情を向ける相手はプフレだけだから。一方、護を1人残して逝くことを心から案じる最期になることが庚江にとっての不幸だ。不安の中身はふたつ、庚江の守護無しで天然バカの気があり危なっかしい護が、本人の魔法の有用性にも関わらず低い戦闘能力による危険性も相まって、無事幸せに生きていけるのかという長期的なことと、庚江を殺したことで護が感じる否定的な感情の嵐についてだ。そうした"自分の存在を欠く護"に対する不安がプフレ最大の不幸となる。とはいえその不安すら護に対する愛情から来るものである以上、プフレが殺される瞬間に感じるのは結局のところ幸せなのだ。死ぬ最期まで庚江の関心は自分ではなく護にある。

 


違った角度から考えてみても、この結末は予想できる。

プフレにとっての最悪は自分が死ぬことではない。自分の目が黒いうちに護が死ぬことだ。賢いプフレはありとあらゆる手段をもってしてこの最悪を回避するだろう。つまり、庚江が生き残り護が死ぬは無い。

そしてプフレにとって次に最悪なのは自分が死ぬことだ。とはいえ賢いプフレはこの最悪も回避する。あのクラムベリーの試験でも2人揃っての生存をもぎ取ったプフレだ。他人に容易に殺されはしない。プフレを殺す目があるのは、灯台下暗しのシャドウゲールのみだ。

 


ではシャドウゲールがプフレを殺すことは護にとってどうなのか。護から見て庚江は存在理由だ。まず先立つのは衝撃、そして自責の念、その後に存在理由の喪失による空白だ。それらの否定的な感情の嵐を心折れずに抜けることができればだが、護にとって庚江の庇護を離れることは間違いなく新たな世界を開く行為になる。つまり、不安要素は多いものの、庚江の死を乗り越えられれば護にとって良い側面も孕んでいるのだ。

更に、あの賢いプフレが他ならぬ護のために、自分の死後に護を守る手段を生前に講じていないわけがない。

護の今後がどうなるかは、その庚江の安全対策も大きく影響するだろう。

 


とはいえプフレが欠けた時点で、本編におけるプフレ&シャドウゲールの黄金コンビも終了だ。今後シャドウゲールが再び日の目を見、活躍したとしても、それはもはやこれまでのシャドウゲールではない。それだけプフレの存在はシャドウゲールにとって大きいのだ。恐らく、プフレ自身が考える以上に。

2人のファンとして、冥福を祈りたい。

琅燦考察 十二国記 白銀の墟玄の月より

 


18年ぶりの十二国記、本編刊行に業界が沸いてます。祭りじゃ祭り。

白銀の墟 玄の月 1〜4巻を読み終わって感想を…言い始めるととにかく楽しすぎてきりがないので、感想については幸せな時間をありがとうございます、の一言に集約。

 


ただどうにも釈然としないあの人の心理について深掘りたく、読後にようやくわかる視点から内容を整理してみました。

まだ読んでない方は絶対に見ないでください。読み終わってからスクロールしましょう。

 


以降は徹頭徹尾ネタバレのオンパレードです。

特に白文字とかしてないので本当にスクロールしないでね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


まず2巻まで読み終わった段階でその人について思うのは、こいつヤバイ、好奇心に駆られて何でも踏み越えちゃう系のシリアルキラーじゃないか…です。

その印象が4巻ラストで変わる変わる。

読み終わってちょっと呆然としました。

生じたギャップを埋められるかなと思い、以下にまとめます。

 


以降考察!

 


- 琅燦考察 -

 

◆読み取れること

・天の摂理の空隙(王と麒麟が不在の状況下)に対する好奇心があった

・元黄朱のため忠誠心がとても薄い。一方で驍宗を戴唯一の王と認めている。

・驍宗麾下。恐らく驍宗が野に下った3年間で出会った人材=驍宗と一緒に下った厳趙ともども長い付き合い

・冬官の技術に対する敬意があり、阿選の朝において散逸を防ぐ目的意識があった

・妖魔のエキスパート黄朱として饕餮を下した幼泰麒を高く評価(?)していた。帰還後の成泰麒を散々化け物呼ばわりしている。

 


◆検討したい見解

阿選を唆して助ける一方で驍宗を支援する素振りも見せる琅燦の心理の矛盾について、証言している天の摂理に対する好奇心以外の観点から深掘りしたい。

具体的には以下の2点を検討。

 


A. 泰麒を試したい気持ちがある?

(尚阿選は途中から泰麒を驍宗と同じ好手敵と見做している)

 


B. 阿選をけしかけることで、驍宗が始めた冬狩を全うさせる意図があったか?

(これは花影が李斎に伝えた噂話より思いついた線です)

 


◆前提

琅燦=

・耶利の元公主

・青鳥の管玄さん

 


◆したこと時系列

★…驍宗寄りの行動

☆…阿選寄りの行動

どちらとも取れる行動には印無し

 


[失踪前=冬狩の折]

・李斎に幼泰麒を蚊帳の外に置かないよう諫めた&饕餮が使令にいることを確かめた

・阿選に王位は同じ姓の者が続かないと教えた

・簒奪を決めた阿選に幼泰麒の使令を引き離し、角を折るよう助言した☆

・〃妖魔を使う観点で助言した☆

 1. 賓満の使用
 2. 岩崩落豚さんの使用
(・もしかしたら文州で轍囲で函養山な点にも助言があったかもしれない)

 


[失踪後]

・石林観に青鳥を送り瑞雲観を止めるよう伝えた★

・瑞雲観と深い繋がりのある文州候の魂魄を妖魔に抜かせた☆

・阿選におもねる立場を活かして冬官を守った★

・たぶん厩の厳趙と協力して白圭宮から逃げたい官僚を逃している★

・阿選の朝の現状維持に貢献している(冢宰の張運の視点)☆

・阿選に教えた魂魄妖魔の使い方は危うい手法だった(耶利談)★

 


[成泰麒帰還後]

・幽閉された泰麒の琅燦に会いたいという要望に応じなかった

・新王阿選に対しあり得ないと耶利に言っている

・泰麒の狙いを勘繰る諸官に民を救いたいんだろう麒麟だからと云った

・阿選に会えば罵ってる★

・阿選に泰麒の帰還を伝えた

・新王阿選を確かめる手段として泰麒を阿選に斬らせた(ここで泰麒は琅燦味方と確信…なんでだよ!泰麒豪胆で頭キレすぎだよ、本当に逞しくなったよ…涙)★

・耶利を泰麒の元に遣わした/その際自分にできることはこのくらいが限度だった、泰麒の目的が自分の目的だと述べている★

・驍宗奪還に向かう帰泉にウサギさん妖魔を付けてキキの群れをおびき寄せた☆

・刑場から逃げた一行に計都を送り届けた★

 


◆結論

阿選の気持ちにいち早く気付き、事実だけを伝え阿選の行為を見守っている。この行為はたぶん阿選が驍宗に臣従することを受け入れられるかどうか、どちらに転ぶかを好奇心から観察したいためにわざとつついている。

 


阿選が簒奪を決めてからは、阿選の計略に乗ることで天の摂理に対する好奇心および泰麒を測ることができると考えて協力しているように見える。

驍宗に対しては、当初の計画が函養山への衣食住を伴うきちんとした幽閉だったことから犯行に踏み切るためのハードルが低かったものと思われる。(驍宗様なら大丈夫!ぐらいの気持ちでいそう…この4冊を経て読者も驍宗様なら大丈夫!の気持ちになりました)

 


失踪後は、激化する阿選の誅伐に対しどうにか阻もうとする意思が見える。

つまり人命を蔑ろにしているわけではない。

琅燦の中では人命>好奇心だったのではないか。

更に冬官府を守るため阿選に与するふりをしながらばれない範囲で驍宗の助けになる行為をちらほらしていると考えると、泰麒帰還後は現状維持に協力しているというのは見せかけで、心理的には王と麒麟神隠し実験から完全に離れていてもう渋々手伝ってる感じだったのではないか。

 


Aはあり、Bはなしってとこでしょうか。

それにしたって可愛かった幼泰麒への無残な仕打ちは無いですけどね…!鬼か

それだけ期待してたってことでしょうか…いやいや普通に死ぬるで…